今日は、お昼にJ・Dサウザーに似た友人と物件を見学に行きました。
全ての鴨居をくぐるのがタイヘンそうでした。でも、久しぶりに物件を見たので、かなり楽しかったです。
さて、今日は建具を再生しました。私は今までは全部切って捨てて新しい建具を、購入しつけていたのですが、全ての建具を交換すると、悲しい値段になってしまうので、なんとか再生するように心がけるようになりました。
こんな建具を
メッチャ掃除、シーラー、ペンキ3回塗って
磨いたドアノブ、チョウツガイをつけ
買ってきた養生用プラダン(150円)をカットして
両面テープを貼り
完成です‼️
これで、建具は全てメンテナンスしました‼️
お金の話②
魚屋さん
さて、私が生まれた家は魚屋さんだったわけですが、小さい頃はかなり儲かった時もあったようです。
特に大晦日などは、1日で150万とか売れていました。私は他の兄弟がグースカ寝ているのに独りで破れた障子の間から、夜中こっそり覗いて、両親が嬉しそうにお札を数えているのを見て本当に安心したのを今でも鮮明に覚えています。
正月は全く普通の日で、朝ごはんが12時ぐらいでした。両親が疲れて起きなかったからです。
でも、夏は魚は売れませんでした。特にPCBのニュースや大気汚染の番組などが放送されるとお客さんは全く来なくて、私は悲しくなってお店の前でずっと立ってお客さんが来るのを待っていました。
父は魚が売れないので、市場でスイカをたくさん買ってきて店のコンクリートに転がしていました。
私は子供心に魚屋さんのコンクリートのみんなが土足で歩くぬれたところに置いたスイカが売れるんだろうか?と思いましたが、やはり売れませんでした。
なので、御飯はスイカでした。
私は父に大晦日の時のお金はどうしたのか聞いたら
「そんなもの、とっくにない❗️」と言うのです。そして
「いいか、俺だって稼いだ時にお金を取っておこうといつも思うけど、なんか、その後も入ってくるような感じがすんだ。だから、みんなつかっちまうんだよ。」
「でも、日銭が入ってくる仕事は生活はなんとなくできるんだ」
と言うのです。だから私が
「1年間の仕入れや電気代水道代モウケを計算して割って生活すればいいんじゃないか」(私は小学校5年生だったと思います)というと
「そんなことしてたら頭が痛くならあ‼️」「おめえはこまけいなあ」
というのです。
確かに父は良く働きましたが、同じぐらい遊んでいました。年取ってから
「俺はギャンブルで7000万は使ったな~~~~」と言っていました。
ビックリ仰天です。普通のサラリーマンなら、自己破産です。
私は、父のようなお金の稼ぎ方もイイけど、やはり、少しずつ積み重なっていって何かの形になって増えていったほうが良いなあと、小さい頃からつくづく思いました。
私が結婚する頃はスーパーがたくさんできて、魚屋さんは売れなくなってしまいました。
父はとても哀しそうでした。
つづく
人気ブログランキングへ